THE LEGEND OF HEI

僕が選ぶ未来

人生で大切なことは”アニメ”が教えてくれた アニメ視聴士そっそ編

インタビュアー「こんにちは!dアニメ編集部のアニゴエBOSSです。(以下B)」

(こいつら2017夏で失踪してて草。セレソンかな?)

彡(´)(`)

 

 

B「本日は、そっそさんよろしくお願いします。今回は「アニメと人生」というテーマでお話を聞いていきたいと思います。」

そ「よろしくお願いします。ボッスさんも元気してましたか?」

そ「一体なんに気づいたんや・・・?」

彡(●)(●)

そ「これには大変驚かされましたね・・まさにアニメ界のソクラテスですよ。」

B「HAHAHA・・・・。では本題に入りましょう。さっそく本日のテーマである、【人生とアニメ】に纏わる作品の紹介をお願いします」

そ「はい。この作品ですね。まあやっぱりというかね。」

B「やっぱりって感じですね。しかし、この作品について改めて話をすることってあるんですかね?もう十二分に語りつくした感じはありますが。」

そ「過去記事でも取り上げる機会は多かったんですが、どうしても作品のインパクトに力点があるというか、もうちょっと深く文字に起こしておきたいと思いまして。」

seleson-da.hatenablog.comB「なるほど。なにかそう思ったきっかけでも?」

そ「はい。先日好きなゲエジについて、たっくより「ゆら公」の名前があがり、なるほど、ゆら公はガイジという認識もあるのだな、と知り、自分なりのステラ、そしてゆらに対する認識をまとめてみたいと思ったんですよね。正直今まで一番見た深夜アニメの1つで、途方もない数を見てきた自分としても、一番まともに話ができるんじゃないかと・・」

B「ふむ・・。ステラというアニメには、他のアニメとは違った思い入れというのがあるんですね。では、お話の方をお願いします。」

 

(そっそ、ここから一人で話を進めていく。この記事はステラの内容を見て覚えているかたに向けて書かれたものです。特に説明がない部分もありますがご容赦ください。)

 

そ「まず、この作品の大きなポイントだと思っている部分について話します。それは製作者=監督の思い描いている青春時代がしっかりと作品に投影されているところです。意図せずああいう風にキャラクターが暴走したわけではなく、製作者の意図の通りにキャラ、つまりゆらが行動しているということです。監督はステラの作品のインタビューにおいて次のように話をしていました。」

 

青春っていうのは(他のアニメのように)あんなにキラキラしたようなものではなかった。

 

そ「もちろん、いわゆる”陽キャ””リア充”などと呼称される人々の青春はキラキラした日々だったと思います。自分のようにザ・日陰ものの青春なんて、まさにしろくろ(のらくろ?)の日々でしたね(笑)帰宅部でただ毎日学校と家を往復するだけのマシーンのような日々でした。」

 

そ「ステラの1話を覚えてる人って少ないと思うんですが、ゆら公って中学の時、直接的ないじめこそなかったんですが、いわゆるぼっちなんですね。」

そ「まず、作品スタート時のゆら公の気持ちは、ガチモンのボッチだった経験がない人にはわからないと思います(断言)」

そ「では、そっそ自身がガチモンのモンスターボッチだった時代の話をします。それは高校に入学したときです。自分一人だけ出身中学とは違う学区の高校に入学&親の再婚で苗字が変わって、地元も15年住んだ家も仲間も自分の名前すらも、何もかも失ってしまった少年は、まさに自分が一体誰なのか?自分に一体何があるのか、こんな自分は自分じゃない、誰とも話したくない、話すのが怖い、こんな気持ちが無限にループして、気づけば全クラスメート男子が参加している自然教室の腕相撲大会を一人だけベットで寝たふりして参加しなかったあの光景を今でも思い出します。」

 

 

そ「そんな最悪のスタートを切った僕の高校生活は、世界史マスターとしてなんとなく自分のキャラ、立ち位置を確立させてからはなんとか友達やグループと呼べるものに参加したりしていました。しかしながら、本当に自分が好きなものを語り合えるような真の友達、親友と呼べるものは高校にはいなかったように思えます。(ちなみに鹿田さんとはたまに遊んだりはしてた)」

 

 

そ「こういう状況を端的に言いますと・・」

 

自分の居場所がない

 

そ「つまりそういうことです。僕もゆら公も、とにかく自分の居場所を探していたわけです。そしてそっそは幸運にもサイクリング部に出会うことができたわけです。僕も部に入った最初のころから、ここを自分の居場所にするんだって思って、今考えるとかなりヤバいゲエジムーブやってたと思いますね。阿蘇の草千里まで登った新歓ランも、同期の中でダントツで遅かったのに、堂々と未来の部長を宣言したりしてましたから。みんなはどう思ってたんでしょうね。こいつ周り見えてねえなあ、とか感じてたんでしょうか?でもここで存在感出して、自分の居場所はここだぞ!ってアピールしなければ強く思ってたんですよね。」

そ「水着回(5話)ってふつうに最初から最後まで楽しく終わるものでしょ。なのにゆらが何もかんがえずに花を踏んで行くシーンに対して、そのちゃんが「あいつ周りが見えてない・・」とつぶやいちゃうんですよね。」

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そ「そして最後のカット、そのちゃんの表情。当時物凄く引っかかってましたね。だって少なくともここまではまだ普通の萌えアニメって感じでしたから。」

 

 

そ「入部してからのゆら公はとにかく必死にサバゲ部を自分の居場所にしようと頑張ってるんですよね。でも、そもそもがゆるくみんなで和気あいあいと楽しむことがメインの他のメンバーにとってのサバゲ部という居場所から微妙にずれてるんですよね。この歪みが次第に膨らんで行って、そのちゃん狙撃事件で爆発してしまうわけです。まあ結局あの事件ってなんだったのか未だに不明なんですが(笑)カズンさんのよく言う、物語を進めるためだけの出来事って感じですが、さすがに白昼歩いてたら急に狙撃されるって雑すぎですね。お、割とタイムリーなネタなのかな?(ダイナミック不謹慎)」

 

B「ライン超えないようにお願いします」

 

そ「はい。続く6話がこの作品のその後の方向性をすべて決定したと思います。文化祭でゆらとそのらでタイマンの打ち合いをするシーンですが

れんとが水をこぼしたのに気づき、打ち合いを止めようとするそのらに対して、ゆらは全く気付かずにそのらを撃ってしまいます。この時のそのらの「コイツ・・」はアニメ史上に残る名セリフだと思っています。

表情、間合い、すべてが素晴らしいとしか言いようがない見事なこいつ・・。

 

そ「まずはその後の周りが見えなくなったゆら公の精神の推移を書いていくと、まず自分の居場所を守るために何が必要と感じたかです。それは自分がチームに必要な存在になることですね。わかりやすく言えば、自分の力で大会に勝つことです。自分が作戦を考え、自分がリーダーとして大会を勝てば、誰もが必要な存在だと認めてくれる。そうなれば当然サバゲ部はゆらにとっての居場所になる。そう考えたわけです。しかし、現実はそうではなかったことはアニメを見た人はわかりますね。」

そ「ゆらにとって不幸だったのは、間違った形として結果が残ってしまったことだと思います。もし実力で凜さんに勝つことができていれば全く違った未来があったと思いますが、望まぬゾンビで勝ってしまったことは、自分の力でチームを勝たせる、凜さんのチームに勝つということと真逆の結果となってしまったのですから。こうなってしまったせいで、すでにゆらは止まることができなくなり、サバゲ部という居場所を放棄せざるを得なくなり、実力があれば居場所が与えられる凜さんの学校(明星女学園)に向かうこととなったのです。」

 

B「なるほど・・。先ほどまずはゆらという言葉がありますが、他に何かポイントがあるということですか?」

 

そ「いいところに目をつけましたね。それこそがステラの最大の問題点というか、他の作品と一線を画す要因だと思う部分です。

明星でもうまくやっていけずに、辛いゆら公が描かれるときに、同時に楽し気なそのらたちのカットが出るシーンはすごく胸にくるものがあります。ここが本来一番ありえないと思ってしまうシーンです。

やはり『そのら』がステラという作品の代弁者だと思います。従来の作品のリーダーというものは、やはり主人公である新入部員を支え、間違った道に行こうとすればそれとなく正す役割を与えられてきました。しかし、このそのらはいち早く「周りが見えていない」ゆらに気づいたにもかかわらず、ついには作中では一切道を正そうとせず、あわよくば自分の進むべき道を行けばいいと適当な言葉を使って、ゆらを一切引き留めようとしませんでした。」

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そ「ただし、僕が言いたいのは、そのらが悪い!ということではなく、リーダーだからと言って部員をみんな支えたり、導いたりできるわけではないよ、というリアルさが素晴らしいということなんですね。そもそも、クールなキャラであり、本心を伝えることが下手なキャラとして描かれており、なおかつそのら自身、自分の留学について思い悩むシーンが描かれています。そんな状況でケガをして入院をしたりする日々で、果たして他の部員に対して親身になってあげられる人間がどれくらいいるかってことです。僕も最初の1~3周くらいは、ゆらのことばかり考えていたんですが、それ以降はとにかくこのそのらの人間的な部分に凄く惹かれましたね。で、ゆらとそのらって実は似たもの同士なんですね。うわべは陽キャ風に、いろんな人と繋がってる風にしてるそのらも、実の部分は誰とも本音では話していない。そんなそのらだからこそ、すぐにゆらが「周りが見えていない」ことがわかったんですね。ゆらとそのらは実はすごく似ており、さきほどの画像のように光と闇として実は対比して描かれている部分もすごく好きなポイントですね。もちろん、ゆらはそのらみたいになりたくてサバゲ部に入ったというのもありますが、結局はなることができなかった・・。同じように他者とのコミュニケーションがうまくはないはずなのに・・どうして・・。何かこの辺りに社会生活におけるキーワードが隠されていそうです・・。みなさんも是非考えてみてほしいですね。

(まあわかりやく一言で済ますなら「空気が読めるか?」ただその点だけなのですが・・居場所がない人間であればこそ、どうしても察することができなくなるんですね)

 

そ「その二人の気持ちというのが、自分としてはなんだか痛いほどわかってしまうのが、僕がステラを愛してやまない理由ですね。自分の高校時代に味わった孤独感から、大学時代ああいう風に、まるで「陰キャの王」のような振る舞いをしてしまった原因なんだろうなってよくわかります。本当の自分の居場所って、見つけるのは難しい、というかそんなものはないと思っていたから、サイク部、そしてセレソンというのはかけがえのないものだし、一生大事にしていきたいなって、ステラから学びました。」

そ「何回見ても、その度に新しくいろんなことが見えてくる。ステラってそういう作品だと思います。この作品に出会ってなかったら間違いなくセレソンはありませんし、本当に人生を変えてくれた、最高の作品だと思います。」

 

B「いや・・長々とありがとうございました。ステラ本当にいい作品ですね・・(涙が止まらない)」

そ「ほんとですね。」

 

そ「あ、言い忘れてましたが、普通の作品だと、最終話(ステラでは12話)でちゃんとお互いに、もしくはゆらが、みんなにごめんなさいして、仲直りしてサバゲーする流れになるじゃないですか。でもそんなことはないんですね。ただ、「お前の仕業だな?ゆら」とかわけわかんないこと言って終わりですから」

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そ「監督が、そういう青春ドラマみたいにお互いちゃんと謝ってキレイに締めようっていうのを意図的に嫌ってるのが見え見えですからね。でも実際の世の中ってこうじゃないかなって。なんか互いに争いがあったとしても、なんだかんだうやむやにして人間関係はつづいていくものなのかなって思ったりしますね。ここの最後もステラの好きな部分ですね。」

 

 

B「本日はありがとうございました。次回もまた別の作品についてのお話等を聞けたらと思います」

そ「ハハハ。まあ真面目にアニメについて書くと、自分としてはあまり面白くない記事になるので、うーんって感じなんですが、もし需要があるのなら、こういう形式で自分の好きな作品を書いていければと思います。」

 

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追記

ステラの語り切れなかった魅力

①良い子のためのサバゲー講座とかいう生き地獄

こいつらなんだかんだで、擁護できんくらいには畜生なの間違いないんだよな。

 

この凜さんとの話は、本編をかなり補足しており、ゆらがなぜ明星でもうまくやっていくことができなかったかが説明せれている。物事の核心を突くような内容でかなり考えさせられるので続きをどうぞ。

明星を追い出されたゆらは、一体どうしたらいいのかわからなくなっていましたね。何故かというと、ゆらは自分で意識こそしてはいませんでしたが『勝ちたい』ではなく、『自分の力でチームを勝たせることで居場所を得たい』と思っていたからです。凜さんが考える「勝利絶対主義」の明星とは実のところ真逆の思想だったにもかかわらず、自分の居場所に違いないと思って移籍したため、このように凜さんに突っぱねられてしまったわけです。でもこの気持ちもすごくわかるなー。例えばサイクリング部で出場していたソフトボール大会も、最初の頃は「自分が打って勝つ」ことが目標になってたけど、最後の大会の決勝リーグあたりでは「自分が打つなんてのはもうどうでもええ!いや、もはや出なくてもいいからとにかくチームがとにかく勝てばいい」って思うようになってたもんね。それは、このチームが自分が作った自分のためのチームという思いから、仲間たちと一緒に練習して作り上げてきた大事なチームって感じで気持ちの変化があったからだと思うな。とにかくこのメンバーで優勝を味わいたい!と。あの最後の満塁ホームランも、とにかくヒット打とうと思って珍しくライナー打ったら外野の頭越えたからなあ。よく、プロの選手が「ファンの声援のおかげでスタンドまで届きました」とかふざけたこと言ってんなあ、とか思ってたけど、ほんとにそんなことあるんかもなって思ったね。

 

ついでに本編の話をもう少ししておくと、ステラから5年後、作品を監督が振り返るインタビューより。本編の話を抜粋。ゆらが絶望に堕ちた後、本当はそのままサバゲとは離れてくらしていく終わりにしたかったようだ。ヤベー

25歳、まだまだアニメの経験もないまま監督になった故、ここまで挑戦的な作品ができたのかもなぁ。ゾンビのくだりとかは原作者考案というのも書いてある。

 

②原作の凜さんがアニメよりもさらに怖い

 

まあBB弾投げて当てて倒した判定とか、そらいいわけないけど、普通に死ねはやべーわ

(ソフトボール大会で、判定に不服でマジギレしたり、ちーぴんグラブでぶっ叩いてたリアル凜さんみたいな人いたような気がするだが、気のせいか?)

 

 

③悪魔みたいな特典のBB弾

org4511664サバゲーで使えない→うーんこのゴミ。まあ特典やしそんなもんかな
使うと銃が壊れる→いかんでしょ。

 

④天使のような凜さんの笑顔

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カズン「いけるやん!」

 

⑤円盤自慢大会

カッコイイ。れんとこれ誰かわからんレベルだろ。

最終巻。守りたい、この笑顔

BB弾以外は、各話コンテやらキャラ設定やら割としっかりしてたし、お買得やね。

 

 

 

最後に

来年でステラ放送から10周年。そっその中でこのアニメを超える作品が現れる日がくるまで頑張ってアニメ視聴とブログ作成やっていこうと思います。

 

おしまい。